■事実
AcerとASUSのドイツ向けウェブサイトが事実上アクセス不能な状態となり、ドイツ在住のユーザーがドライバや BIOS、ファームウェアのダウンロードページにすら到達できなくなっている。
問題の発端は、2026年1月22日にミュンヘン第一地方裁判所が下した判決だ。
フィンランドの通信機器大手Nokiaが、HEVC(High Efficiency Video Coding、別名H.265)の標準必須特許をめぐってAcerおよびASUSを提訴。裁判所は両社がFRAND(公正・合理的・非差別的)ライセンス条件のもとで誠実なライセンシーとして行動していなかったと認定し、ドイツ市場でのノートPCおよびデスクトップPCの直接販売を禁止する仮差止命令を下した(事件番号: 7 O 4100/25)。
HEVCは動画圧縮に使われる規格で、ほぼすべての統合GPUや外付けGPU、SoCに実装されており、ストリーミングサービス、ビデオ会議ツール、コンテンツ制作アプリなど幅広い用途で使われている業界標準だ。
この特許はNokiaが保有するビデオ技術特許ポートフォリオの一部であり、同社はH.264(AVC)・H.265(HEVC)・H.266(VVC)など主要映像コーデック群の標準必須特許を広範に保有している。
この問題はもともとAcer、ASUS、そして中国の大手家電メーカーHisenseの3社に対して提起されていたが、HisenseはいちはやくNokiaとライセンス契約を締結し(2026年1月)、販売停止を回避している。
Nokiaはこれと並行して、欧州統一特許裁判所でも関連する申立てを進めており、今回の動きはドイツにとどまらない広域的な知財キャンペーンの一環とみられている。
ドライバさえ落とせない——既存ユーザーへの深刻な影響
販売停止命令そのものより深刻な問題として指摘されているのが、ドイツのユーザーが両社の公式ウェブサイトに一切アクセスできない状況だ。
ComputerBaseなどのドイツ語メディアの報告によれば、現地ユーザーはドライバ・BIOS・ファームウェアのダウンロードページへのアクセスも遮断されており、ブロックはジオIPチェックに基づいて実施されているため、ブラウザの言語設定を変更しても回避できない。
さらに問題を複雑にしているのが、ブロックの対象範囲の広さだ。
ドイツからアメリカの地域ページへアクセスしようとした場合でも、エラーページにリダイレクトされるケースがあることがComputerBaseの調査で判明している。
つまり、すでに製品を持っているユーザーが単純にドライバを更新したいだけの場合でも、公式の入手経路が事実上断たれている状況だ。
ASUSはドイツでのアフターサービスは引き続き完全に稼働していると公式に表明しており、「既存のお客様は現在の裁判所命令に完全に準拠した形で引き続きサポートを受けられる」と説明している。
一方で現実には、サポートの入口であるウェブサイト自体が閲覧不能なため、サポートに問い合わせる方法すら見当たらないという矛盾が生じている。
ASUSはミュンヘン第一地方裁判所の仮処分を判断の根拠として挙げており、ウェブサイト停止はその対応措置であることを示唆している。
Acerはドイツ語メディアPC Weltに対して、判決を尊重しつつも影響を受けない製品(モニター、ルーター、e-スクーター、周辺機器など)については引き続き販売を継続すると述べている。
回避策——中国・台湾のドメインを使う
ドイツ語技術メディアComputerBaseは、アクセスできない公式サイトの回避方法として次の方法を紹介している(https://www.computerbase.de/news/mainboards/fuer-treiber-oder-bios-wie-man-trotz-sperre-auf-asus-de-und-acer-de-kommt.96210/)。
ASUSについては、中国向けドメインを利用してサポートページにアクセスし、ブラウザの翻訳機能を使って閲覧する方法が有効とされている。
あるいはASUSのDriverHubアプリが、asus.deがブロックされているシステムでもマザーボードドライバのダウンロードに対応できた事例も報告されているが、ノートPCやNUCクラスの機器では機能しない点に注意が必要だ。
Acerについては、台湾向けドメインがドイツからのアクセスに対してリダイレクトを起こさないことが確認されており、こちらも翻訳機能を活用することで目的のページに到達できるとされている。
ただし、すべての接続がブロックされているわけではなく、一部の回線からはアクセスできるという報告もある。ドイツのサイトが閲覧できない状態は既に約1週間以上継続している。
ドイツは欧州最大のPC市場
今回の販売停止が特に注目される背景として、ドイツがヨーロッパ最大の消費者向けPC市場であることが挙げられる。
なお、仮差止命令の対象はメーカー直販チャネルのみであり、Amazon、MediaMarkt、Saturnといった小売店を通じた販売は引き続き許可されている。
ただし、メーカーからの在庫補充が止まることで、時間の経過とともに店頭在庫が減少していくことは避けられない。
両社とも判決への不服申立てを検討しており、Nokiaとの間でライセンス交渉を通じた解決を目指すことも選択肢として残っている。
HPやDellといった他社メーカーがHEVCへの対応として、あえてハードウェアレベルでのHEVCサポートを無効化するという手段を選んでいた事実も改めて注目されている。
■解説
正直なところ、これはかなり奇妙な展開です。
販売できなくなることはわかる。でもドライバのダウンロードページまで落とすのは、さすがにやりすぎじゃないか、というのが第一印象でした。
特許侵害の差止命令で、「ある製品の販売を止めろ」と言われたとして、どうしてサイト全体を落とす判断になるのか。
グラフィックカードやモニター、周辺機器は今回の特許問題と関係ないわけです。でもそれらの製品のサポートページまで、まとめて閲覧不能にしてしまっている。
個人的には、法務チームが「とりあえず全部止めておけ、安全策だ」という判断をした可能性が高いと見ています。
訴訟リスクを最小化しようとして、結果的に既存ユーザーを切り捨てるという、なんとも本末転倒な状況ですね。
ASUSが「アフターサービスは通常通り提供しています」と声明を出しながら、その窓口となるウェブサイト自体が見られない、というのも笑えない話です。
VPNすら効果がないという報告もあり(ジオIPで弾かれるため)、ドイツのユーザーは公式の回避策がない状態に放置されています。
もう一つ気になるのが、HEVCという規格の位置づけです。
HEVCはYouTubeからNetflix、Zoom、Windows標準の動画再生まで幅広く使われており、現代のPCに実装しないという選択は実質的に不可能に近い。
HPやDellはHEVCのハードウェアサポートを無効化するという手段で対応してきたらしいですが、それはそれで「なんで動画がこんなに荒いんだ」という別の問題を生むわけで。
日本から見ると、DellやHPのPCでいきなり動画の再生が遅くなった、くらいの認識だった方も多いと思いますが、ドイツではウェブサイト自体が閉鎖され、ドライバすら入手できないという事態にまで発展しています。
EUでのライセンス条項がここまで厳格に運用されるとは、正直驚きです。 おそらく一般のユーザーには、まったく想像できなかった結果ではないでしょうか。
要するに、HEVC特許はメーカー側にとって「払わない選択が現実的にできない」種類のものです。
それをNokiaがFRANDライセンスの枠組みで請求しているのに、裁判所は「誠実な交渉姿勢がなかった」と認定した。
このあたりは単純に「Nokiaが悪い」とか「AcerとASUSが悪い」という話ではなく、標準必須特許(SEP)のライセンス交渉がどこまで誠実に行われたか、という証明責任の問題です。
Hisenseはさっさとライセンスを取って被害を回避しました。残ったAcerとASUSが今後どう動くか——ライセンス交渉に応じるのか、上訴で逆転を狙うのか——は、ドイツ市場全体にとっても重要な行方です。
個人的には、長引けば長引くほど両社にとって不利で、Nokiaとしては時間を味方にできる構造だと見ています。
ドライバが必要な既存ユーザーとしては、上記のComputerBaseが紹介している中国・台湾ドメインへのアクセスを試してみるか、あるいは今のうちにドライバパッケージをアーカイブしておくことを強くお勧めします。
いつアクセスが戻るかの見通しがまったく示されていないのが、一番困る部分です。